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天禄元年(970年)創建。源満仲を主祭神とする源氏三神社のひとつ「多田神社」

川西市は、清和源氏(せいわげんじ)発祥の地です。 源氏というと12世紀末に鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が代表的人物としてあげられます。その先祖の源満仲(みなもとのみつなか)の根拠地が多田盆地でした。満仲は平安時代に京都の貴族に仕えた武士。10世紀の中頃に地形・水利・交通の便などに目をつけて多田盆地に移り住み、山野を耕地に開発して大きな勢力を持つとともに源氏発展の基礎を築きました。元禄元年(970年)に満仲が造った寺院は「多田院」と呼ばれ、武士の政府である、鎌倉・室町・江戸幕府からも手厚い保護を受けました。その後、明治時代には、政府の神仏分離政策によって寺院が廃止され、「多田神社」となりました。
第五十六代 清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府将軍 源満仲(みなもとのみつなか)をはじめ、源頼光(みなもとのよりみつ)、源頼信(みなもとのよりのぶ)、源頼義(みなもとのよりよし)、源義家(みなもとのよしいえ)の五公をまつっている「多田神社」。境内(1万6千坪)全域が国史跡指定を受けており、国指定重要文化財の本殿・拝殿・随神門をはじめ、数多くの指定文化財が所在します。
源氏三神社:多田神社(兵庫県川西市)・壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)・六孫王神社(京都府京都市)。

清和源氏ゆかりの社寺「多田神社」

現在の建物は、寛文7年(1667年)に徳川4代将軍家綱によって再興された社殿が今に伝わっています。

国指定重要文化財の本殿。素木の入母屋造、檜皮葺屋根の建造物としてすぐれた遺構となっています。

本殿のまわりには、珍しい椿が多数植えられ、赤、ピンク、白などさまざまな色の花を咲かせます。

清和天皇の子孫である清和源氏は源満仲の3人の子により、源頼光(摂津源氏)、源頼親(大和源氏)、源頼信(河内源氏)に分かれました。源頼光(摂津源氏)からは多田地域を治めた多田源氏や能勢地域を治めた能勢氏などを輩出。源頼信(河内源氏)からは後に鎌倉幕府を開く源頼朝を輩出しました。

鬼首洗の池。大江山(京都府)には酒呑童子(しゅてんどうじ)とよばれる鬼の頭領がいたと伝えられています。酒呑童子は都に現れては暴れまわっていました。金太郎のモデルである坂田金時は源満仲の息子、頼光とともに頼光四天王の一人として鬼退治に参加し、酒呑童子をはじめ鬼どもを退治。都に凱旋の途中、頼光の本拠地である多田院(現多田神社)に立ち寄り、この池で酒呑童子の首を洗い清めたと伝えられています。夏には、日本固有種で地域によっては天然記念物にも指定されてる「モリアオガエル(森青蛙)」の産卵がみられます。

「多田神社」には三ツ矢サイダーにまつわる伝説が!

「多田神社」には、三ツ矢サイダー専用の自動販売機があります。また、自動販売機の近くの休憩所には、三ツ矢サイダーにまるわる伝説「九頭竜伝説」や「鷹狩り伝説」の説明パネルが飾られています。ちなみに三ツ矢サイダーのパッケージの泡は、「九頭竜伝説」にちなんで、九つの泡をレイアウト。三ツ矢サイダーを手に取った際は、確認してみてください。

多田神社 基本情報

神社名多田神社
住所〒666-0127 川西市多田院多田所町1-1
公式ホームページ多田神社
営業時間6時~17時 ※行事により、時間が変更になることがあります。
定休日無休
地図能勢電鉄「多田駅」より徒歩約16分
川西能勢口より阪急バスで「多田神社前」下車

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